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国籍法の問題について

この問題に関しては、自分の理解が足りていなかったので、発言を控えていたが、やっとある程度理解できた。早川先生の常連の元政治学徒さまのwiki

http://www7.atwiki.jp/epolitics/pages/12.html

こちらが非常にわかりやすい。是非一読を。

私としては(乱暴にいうと)反対の立場だが、それは勝手なナショナリズム的意見からくるものだと自覚している。(どうあれ、日本民族優先)最高裁判決にもとづく法改正ならば、議論すべきは運用の脱法行為をどう防ぐか、だろう。

上記のwikiにもわかりやすく解説してあるし、さらに自身でも調べることができる。

議論はあくまで議論として。そういう意味ではやや戸井田議員には失望した感がある。もちろんある意味では政治家として正しいスタンスではあるのだが。

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幕僚長問題(リアル図書館戦争)続きの続き

まず始めに。

私自身の近代史観的スタンスとしては、田母神幕僚長の考え方に近い、と述べておきます。(右、左的な意味では)また、仮にこの意見と逆の意見とを比較した時、防衛の任に当たる人は、前者の方が安心できると考えます。

その上で、前回、前々回のエントリの主張の根拠と、実際が乖離していたようなのでお詫びと意見訂正をしたいと思います。

初報の印象では、あくまで幕僚長自身の個人的発表と思っていましたが、どうやら「公務」中にも主張はされていたようです。

また同論文に応募した78名の自衛官の内、62名が直属に近い部下だったことは、逆の意味で思想統制が行われていた可能性があります。(別の意見を言えない)

勿論それが「啓蒙」された結果、その隊員の「個人意思」で応募ならば問題はないのですが、ここまで率が高いとそうでなかった可能性がでてくるでしょう。

隊内発行紙への発表については、まだ判断しかねます。これが下の階級の人の発表なら、「意見の一つ」として擁護できますが、発行紙自体をコントロールできる立場の人ですので。ただ、現在の情報では(公的意味合いのある)発行紙だったかが確認できていないのでやや判断しかねています。

幕僚長自身が会見で言われていたように、「発言の自由」を自分の部下にも与えていたか、が大事な鍵になってくるでしょう。(逆の意見を許したか?)

どちらにせよ、自らの意見は大事にしながら「公的組織」の「公務」を真っ当するか、できるか。そこができないのならば残念ながら今回の件は擁護できません。

今回の場合でいうと、幕僚長がその主張を公務に影響させた段階でなんらかの対処が必要だったのでしょう。少なくともその「意見」や「論文」を更迭する理由にすべきではなかった。あくまで「公務」を行う能力、あるいは適性の不足として更迭すべきだったと考えます。

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幕僚長の更迭問題、続き(リアル図書館戦争)

早川先生がある程度意見を述べてくれたので、こちらでも意見を述べていこうと思います。

同エントリでも、コメントで述べられていたが、公務員には権利の制限がある、というのは確かで、そしてそれは合理的なものです。それは疑いの余地はありません。

しかしながらそれは公務上のものに限られるべきです。以下その主張についての理由を述べます。

私は「静岡の図書館を良くする会」の主張をかなりの部分リスペクトしていますが、(以下リンク)

http://www.geocities.jp/yokusurukais/aicel.html

その中の

「そもそも、自分にとって不快なもの、認めがたいものの自由をも尊重するのでなければ、自由の価値などありません。そして批判すべき情報に接することによって、私たちは認識を広げ、判断力を高めていくことができるからこそ、思想や表現の自由は大切なのです。認めがたいからといってその情報を抹殺してしまえは、まず何より私たち自身の思想をやせ細らせてしまいます。それはやがて、かつての日本でそうだったように、判断力を狂わせてしまうかもしれません。」

という主張に賛同するものです。

そして今回の更迭問題は、そうした「多様な意見、論点」を握りつぶす方向に向かうものなのです。田母神幕僚長は、確かに覚悟に基づいた発表だったのかもしれません。しかし、全ての人が自分の生活、家族を犠牲にしてまで信念に殉ずることができるわけではないでしょう。そしてそうした人たちの意見(の中)にも素晴らしい意見がある可能性があります。そしてそうした意見を取りまとめていくのが「議論」なのです。「一つの意見」しかないものは「議論」では無く、そしてそれは力を失うでしょう。

また公務員の権利制限についても、例えばこれが「個人の信念に基づき、命令に背いた」のなら、更迭されてやむなしでしょう。教育問題でいうと、歴史認識について、教師個人の意見を元に、授業を行ったら、処分される場合もあるでしょう。しかし、それは「個人の思想、意見」をその通りにしなければならない、ということでは無いはずです。あくまで「公務」を「公務」としてまっとうする為に制限されていると考えるべきな筈です。

少し話しを変えます。

ディスカッションをスムースに進める為の一つのトレーニング方法を紹介します。まず、時間を「5分」と区切り、ルールとして、「一人が意見を言ったら、周りの返答は全て「いいねえ」」そして議題は例題として「新聞紙の使い道」。これでできる限り意見をたくさん出したチームの勝ち、というゲームを行います。その後に、同様に本題の議題について(例えば)「15分」なり時間を決めてとにかく意見をどんどん出して、時間がきたらそれについて推敲していく、というものです。実際やったことのある人はわかるとおもいますが、意見の出方が全然違います。そして多彩な意見はそれだけで力をもちます。よくありがちな会議、議論で全然意見がでない、という光景は目にするでしょう。

よく誤解されがちですが、「議論」とは相手の意見を潰すものではありません。むしろ尊重し、理解する為に行うものです。ゆえに多彩な意見が保障された状態を保つために努力する必要があるのです。さもなければ、「思考停止」という罠に迷い込むことになるでしょう。

(後日談、実態確認の上意見修正。スタンスは変わってないが

http://nenkansyokudou.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-d640.html

実情は違った模様)

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意見と思想の自由はどこにいった?(幕僚長更迭)

http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/japan_china_relations/?1225451780

取り急ぎ。田母神幕僚長の更迭問題。

現在ソースを確認中だが、すくなくとも「公人」として発表した訳ではなく、一般公募に応募したものとみられる。

声を大にして言いたい。

「自分の名前を出して自分の意見を言えない国家は滅びちゃうよ」

この問題そのものに関しては、そもそもデリケートな問題である前提に加え、色々な意見があることはちょっとでも知識がある人にとっては自明である。(村山談話、河野談話を含め)その中で現状の政府見解が出ているんだけど、本質はそこじゃないぜ。

自分自身の意見を「私人」としても述べることができないような(それがたとえ公務の職につくものであっても)社会にして良いの?

意見、っていうものは違うものなんです。だから理解しようとするんです。この幕僚長の意見事態は、確かに右よりの意見でしょう。でも、この意見を握り潰そうというやり口の方が、はるかに戦時体制に近いとなぜ気づかない。

自分と違う考えを認めないものに、意見を言う資格はない。

(後日、実態確認の上意見修正。スタンスは変わってないが

http://nenkansyokudou.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-d640.html

実情は違った模様)

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これも、まんが道

エントリさぼり過ぎですが、これだけは取り急ぎ。

ギャグ漫画の大家、赤塚不二男先生が無くなられました。

謹んでご冥福をお祈りいたします。

人生そのものをギャグ漫画で体現しようとする姿勢に心を打たれたのを覚えています。

ただ、過去を懐かしむのではなく、先生を超えていくことこそが、一番の餞なのでしょう。

漫画家の先生方、どうぞよろしくお願いいたします。

私は楽しみつつ、この文化を守ります。

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