早川先生がある程度意見を述べてくれたので、こちらでも意見を述べていこうと思います。
同エントリでも、コメントで述べられていたが、公務員には権利の制限がある、というのは確かで、そしてそれは合理的なものです。それは疑いの余地はありません。
しかしながらそれは公務上のものに限られるべきです。以下その主張についての理由を述べます。
私は「静岡の図書館を良くする会」の主張をかなりの部分リスペクトしていますが、(以下リンク)
http://www.geocities.jp/yokusurukais/aicel.html
その中の
「そもそも、自分にとって不快なもの、認めがたいものの自由をも尊重するのでなければ、自由の価値などありません。そして批判すべき情報に接することによって、私たちは認識を広げ、判断力を高めていくことができるからこそ、思想や表現の自由は大切なのです。認めがたいからといってその情報を抹殺してしまえは、まず何より私たち自身の思想をやせ細らせてしまいます。それはやがて、かつての日本でそうだったように、判断力を狂わせてしまうかもしれません。」
という主張に賛同するものです。
そして今回の更迭問題は、そうした「多様な意見、論点」を握りつぶす方向に向かうものなのです。田母神幕僚長は、確かに覚悟に基づいた発表だったのかもしれません。しかし、全ての人が自分の生活、家族を犠牲にしてまで信念に殉ずることができるわけではないでしょう。そしてそうした人たちの意見(の中)にも素晴らしい意見がある可能性があります。そしてそうした意見を取りまとめていくのが「議論」なのです。「一つの意見」しかないものは「議論」では無く、そしてそれは力を失うでしょう。
また公務員の権利制限についても、例えばこれが「個人の信念に基づき、命令に背いた」のなら、更迭されてやむなしでしょう。教育問題でいうと、歴史認識について、教師個人の意見を元に、授業を行ったら、処分される場合もあるでしょう。しかし、それは「個人の思想、意見」をその通りにしなければならない、ということでは無いはずです。あくまで「公務」を「公務」としてまっとうする為に制限されていると考えるべきな筈です。
少し話しを変えます。
ディスカッションをスムースに進める為の一つのトレーニング方法を紹介します。まず、時間を「5分」と区切り、ルールとして、「一人が意見を言ったら、周りの返答は全て「いいねえ」」そして議題は例題として「新聞紙の使い道」。これでできる限り意見をたくさん出したチームの勝ち、というゲームを行います。その後に、同様に本題の議題について(例えば)「15分」なり時間を決めてとにかく意見をどんどん出して、時間がきたらそれについて推敲していく、というものです。実際やったことのある人はわかるとおもいますが、意見の出方が全然違います。そして多彩な意見はそれだけで力をもちます。よくありがちな会議、議論で全然意見がでない、という光景は目にするでしょう。
よく誤解されがちですが、「議論」とは相手の意見を潰すものではありません。むしろ尊重し、理解する為に行うものです。ゆえに多彩な意見が保障された状態を保つために努力する必要があるのです。さもなければ、「思考停止」という罠に迷い込むことになるでしょう。
(後日談、実態確認の上意見修正。スタンスは変わってないが
http://nenkansyokudou.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-d640.html
実情は違った模様)
最近のコメント